上越エリアのフリーマガジン「あどば」|新潟県上越エリアの求人情報・地域情報|転職・就職、暮らしの情報もお任せ

セキララU&I

【U】宇賀田 正臣 さん(上越市浦川原区)

 早くも第5回! 今回は東京都北区からUターンし、現在 上越市浦川原区で「草木染め工房 つばめのうた」を営まれている 宇賀田 正臣さん です!



 


Uターン前


こっちに帰って来てから
穏やかと言われるようになった

——以前このインタビューを受けてくださった瀬谷さんから、宇賀田さんをご紹介いただきました。宇賀田さんは染め物のほかに、米作りにも力を入れてらっしゃるんですよね。ご職業と言いますか、お仕事内容としては、草木染めとお米作りの二本柱ということで合ってますでしょうか。
はい、そのふたつです。どちらかといえば染色がメインかな、と思います。

——工房の名前に「草木染め工房」と付けてらっしゃるので、米作りもすごくしっかり取り組んでいらっしゃるというのを、webサイトを拝見して初めて知りました。
そうですね……差し支えないと思ったので、草木染め工房のwebサイトに米作りの内容が同居しています。米の生産者名を記載するラベルには、僕の個人名を使っていますけど。

——ラベルと言えば、お米の商品名がまた素敵で。
ありがとうございます。それまで、初めて米作りをした年から「一年目の米」「二年目の米」「三年目の米」という名前にしてたんですけど、4年目の去年の収穫分から「雪どけ米」という名前にしました。三重の左官職人の先生に名付けていただいて、秋田の若い書家さんに字を書いていただいたんです。とても良い名前を授かりました。【下写真】

—— webサイトの説明文など書き口調や内容から、宇賀田さんはきっと穏やかな方なんだろうとは想像していたんですが、お話しされる口調もやっぱりとてもソフトでいらっしゃいますね。
そうですか?(照笑) 最近よく言われますね……でもこっちに来てからだと思うんですけど、そう言われるようになったの。

——移住以前のお仕事は何をなさってたんですか?
東京でSEをしていました。2003年の春入社で、2010年の9月いっぱいで退社、それから1カ月ほどしてこっちに戻ってきました。SEっていうとだいたい「開発」と「運用」に分かれると思うんですが、僕は運用で。顧客企業のサーバをメンテナンスしたり、営業支援なんかもしてました。



SE職に疑問がふくらむ一方
自然のなかで遊ぶ楽しさを覚え

——移住は何かきっかけがあったんですか?
まず、田んぼ。移住したのは父が70歳を超えたころだったんですけど、それまでこの山間の棚田で父がずっと米を作ってたんです。父もそろそろ米作りを続けるのは体力的に厳しい様子があったりして、でも、東京に送ってもらった米を食べると美味しくて……妻の、千葉の両親からも「すごく美味しいね」と褒めてもらったりしていたので、米作りが途絶えてしまうのがもったいないと、だんだん、そう思うようになっていったんですね。それと同時に、「SEの仕事、東京での暮らしを続けていくのは自分に合っているのかな?」と考えるようになってきてたんです。

——その疑問を抱くようになったのは、なぜだったんでしょう?
工学部でしたし、学生のころは「東京でコンピュータの仕事をしてみたい」と思ってたんですけど、実際勤めてみたら……たとえば企業のインターネットサーバなんかだと、24時間、サービスが止まることがあってはいけないんですね。ちょっと止まるだけでも、売上げなどに影響することもありますから。夜中もしょっちゅう電話が掛かって来たりする仕事だったので、かなりハードな生活だったんです。人が作ったシステムの脆弱性に翻弄され続けた日々でした。

——プライベートとか規定の勤務時間とか、言っていられないような業務だったんですね。
当時はそういう、かなりハードな仕事をしていたので、心身ともに調子を崩して2週間近く休んだこともありました。余談ですが、
かなり忙しかったころ、
電車でおばあちゃんに
席を譲ってもらったことがあります。
お願いしたわけではないんですが
、疲れている風な感じだったんでしょうね(苦笑)。そのいちばん辛い時期を越えたあと配属が変わって、別の仕事場で親しくなった先輩と釣りに行ったり登山をしたり、外に出る趣味を作ったらかなり元気になりまして。「自然のなかで遊ぶのが楽しいな」って感じたのがいちばん大きなきっかけで、だんだん「都会での暮らしよりも、田舎のほうが楽しめるんじゃないか」と思うようになったんです。そこへ、父の年齢的な話だとか、ちょうど所属していたプロジェクトが終了するという発表があったりして、後腐れ無く辞められるタイミングが来たので……全部のタイミングが重なって、こっちに帰ってきました。ここはいつでも山歩きできるし、海へも30分で行けるんですよ。



Uターンのとき


親との同居は、世代間のズレとか
ちょっとしたことが難しい

——移住に際して、奥様のご意見、反応はいかがでしたか。
妻はやっぱり僕のいちばん大変な時期を知っていたので……会社を辞めることに関しては、すでに自分のなかにあった気持ちを最後に妻からそっと背中を押してもらった感じで、そこへさっき言ったようないろいろなタイミングが重なってきて、退職に踏み切ることができたんです。でもここに引っ越してくることについては、妻は「わかった」とは言ってくれたんですけど、やっぱり気持ちが揺らいだ部分もあったみたいで、話し合いはしましたね。彼女が自分で自分を納得させたという部分がけっこうあるんだと思います。

——奥様にとっては見知らぬ土地ですものね。移住から5年ちょっとですが、今は奥様はどうなさってますか。
今は仕事にも就いてますし、ときどきこっちに来て田んぼを手伝ってくれることもあります。あの、実は僕はここ(浦川原区)を仕事場にはしてるんですけど、一昨年の夏ごろから直江津のほうに家を借りて、毎日通って来てるんです。だから僕はほとんどこっちに来てるし、このあたりの地区の仕事、道普請とかを手伝ったりはしますけど、住まいのある直江津の海のゴミ拾いとか、地域行事は妻のほうがよく出てくれてます。彼女は彼女の仕事の都合もあるので、生活の場はどちらかというと直江津のほうで築いている感じですね。

——そうなんですか。てっきりお住まいもこちらかと……
Uターンして最初はこっちで実家に住んでたんですけど、やっぱり両親との同居となると、生活のなかでのちょっとしたことにも、世代間のズレとか、いろいろ難しい面もあって。住まいは分けたほうがお互いに楽なんじゃないかということで、僕は今は通いの生活です。あ、すいません、ちょっと中断しても良いですか。お湯が沸いちゃった。【右写真】

——それは藍の樽ですか? 《以下、湧いたお湯を使って灰汁を取る作業の様子》
いえ、これは灰汁あくです。明日あたりから藍建て(藍の染液作り)をしようと思っていて、その準備をしてます。草木染めもいろいろやってるんですけど、今後は藍染めに力を入れていきたいなと思ってるんです。

  • 作業の様子、その1。

  • その2。沸かしたお湯を…

  • その3。木炭の入ったバケツへ注ぐ

  • その4。竹棒でよくかき混ぜる

  • その4-2。手元の様子

  • 以上の工程でできた灰汁の上澄みを取ったもの(作業途中)

——確かに、今吊されているものも藍色の糸が多いですね【下写真】。草木染めと藍染めは別のものなんですか? 藍も植物ですよね。
草木染めは、植物や虫といった天然染料
を煮出して作った染液で染めて、ミョウバンなどを使って「媒染」という色止めをします。それと違って、
藍染めは染料を煮出したりはしないんです。蓼藍たであいという植物から作られたすくもと
灰汁を発酵させて染液を
作ります。染液を作る作業を「藍を
建てる」とか「藍建て」って言うんですけど、そんな感じで、草木染めとは
染液の作り方や染め方が全然違ってるんです。

——なるほど。これは何の灰汁ですか?
これはならの木。木を燃やした灰にこうやって熱湯を掛けて、灰汁を取って使います。これはまだちょっと濁ってるんですけど、灰が沈んで、上澄みを取っていくと水みたいに綺麗な透明になります。



Uターン後


ゼロからで時間は掛かったけど
今は、これでいけるなという感じが掴めてる

——宇賀田さんご自身は、今は普段の暮らしはどのような?
朝こっちに来て、冬は田んぼの仕事が無いので、染めの作業をしたり、事務的な仕事をしたりして、夕方帰る、というような1日です。あと、お米を販売したり。いちばん忙しいのは春から秋にかけてなんですけど、田んぼをやりつつ、やっぱり糸を染めて、昨年はほぼ毎週、クラフトフェアに出展をして。

——ブログを拝見しましたが、2015年は怒濤の出展でしたね。
そうですね。今年はちょっと、抑えようかなって(笑)。近場なら良いんですけど、秋田や青森とか遠くのクラフトフェアに出ると4〜5日は帰って来られなかったりもしますし、染めの注文が入ってれば染めないといけないし、田んぼにも行かないといけないし。去年は、回らなくなる寸前まで行きましたね……かなり家族に助けられたと思ってます。

——お仕事の時間帯はご自分のなかでこうと決めてらっしゃるんですか。
決めてはいませんけど、冬はだいたい8時か9時には来て、終わりは……すんなりいけば、夕方6時か7時くらいには帰ります。注文が入ったりして忙しいときは夜の10時、11時くらいまで糸を染めてたり。夏はもうちょっと早く来て、田んぼに行くこともあります。

——なかなかの長時間、働いてらっしゃるんですね。
そう……ですね。でも東京のころと比べれば全然。外からのプレッシャーみたいなものもあんまり無いですし、今、僕の場合はずっと気を張って仕事してる感じでもなくて、楽しみながらやってるところもありますから。田んぼも山の中なので天気の良いときは楽しいですし、藍染めもだんだん、発酵の具合が悪いときはどうしたら良いかとか、できることが多くなってきたので、今ものすごく面白くて。クラフトフェアに行っても、……本当はもっとちゃんとしないといけないんだろうと思うんですけど(笑)、いつも、小旅行に行ったついでに糸を販売できれば良いな、みたいな。お客さんにも「商売っ気無いわねぇ」って言われたりするんですけど(笑)、「商売」より、人との出会いや触れあいを大切にしたいという気楽なスタイルが、僕は良いかなって思ってるんです。

——とはいえ、ご商売にされてるわけですよね。
ええ、あと一歩のところまで来ましたね。今年はけっこう……去年、「これならいける」っていう感じ、お金持ちとはいきませんが、生活に必要なお金はなんとかなりそうだなっていう手応えがありました。SEからこういう仕事になったので、ちょっと勉強したくらいじゃできませんし、とにかく経験を積まないとなので、最初は全然でしたけど。ちょっと時間は掛かりましたけど、去年、クラフトフェアとかいろいろ出て、お客さんも増えて、そろそろ、やっていけそうな感じになってきましたね。注文をくださるお客さんもいたり、編み物教室や織物教室で販売できるようになったりとか。あと、遠方から藍染めの体験をしに遊びに来てくれたりとか、そういうお客さんも増えてきました。お米のほうも、最初のころほど力を入れずに今年は完売できそうですし。



やれってことなんじゃない? と…
背中を押してくれるのはいつも妻

——米作りはもともとUターン前から念頭にあったということですが、草木染めはどのタイミングで、どういうきっかけでスタートされたんですか?
実は米作りも戻ってきてすぐではなくて、2011年の秋に、翌年の準備からスタートしました。戻ってすぐは、ちょっとバイトをしてたら他の仕事を頼まれたりもして、田んぼの仕事は最初はほとんど手伝えなくて。草木染めを始めたのも、同じころからです。まず「田んぼを無くしたくない」という気持ちだけで帰ってきてたので、米を作りながらどこかに勤めて兼業でやろうかとか、1年かけて考えてたんです。そのあいだに「この会社は良さそうだな」と思う会社もあったんですけど、でもやっぱり「何のために帰って来たのか」と考えたら、勤めるのは違うなと思って。

——上越の、個人で田んぼを持っているお宅だと、兼業という方は多いですよね。会社員をしながらという方も。
そうですね。うちの田んぼ自体は面積は多くはないし、米作りだけでは(生活は)無理だなと判ってたので、他に何かできることは無いかと考えて。周りを見ると草木がたくさんある場所なので、「草木染めができるんじゃないか」と、そういう流れだったと思います。そうやって考えているなかで、2011年の春に、畑に蓼藍の種を撒いてみた……撒いてみちゃったんですよね(笑)。

——撒いて「みちゃった」んですか(笑)。
ははは。これなんですけど【下写真左】。この植物の種を撒いて、育てながら「これ、どうしよう」と思ってたんですけど、収穫した後も、やっぱりどうしたら良いか全然分からなかったんです(笑)。それで東京で勤めてた会社の、よく釣りに一緒に行ってた先輩のお母さんが織物をする方なんですけど、草木染めもすると聞いたことがあったので、「藍、良かったらお譲りします」と連絡しまして。そしたらなぜか、そのお母さんから今の僕の師匠、埼玉にいる草木染めの先生に話が行ったんです。そのときはまだ草木染めを(仕事として)やろうとは決めてなかったんですけど、「藍があるなら、とりあえず染めてみよう」ということになって、育てた藍を持って埼玉に行って、そこで初めて藍染めを経験しました。

▲乾燥させた蓼藍。この葉を発酵させて蒅(すくも)【右写真】という藍染めの材料が作られる

▲日々、藍染めの液に触れる宇賀田さんの手は真っ青。しかし化学薬品は一切使っていないので手が荒れることは無いそう

——どのくらいの期間、修業されたんですか?
師匠につきっきりで何年とか、何カ月とかといった修行は、実はしていません。僕が師匠のいる埼玉に行って教えてもらったり、師匠がこっちに来てくださって教えていただいたりと、基本をみっちりと教わって、徐々にできることを増やしていきました。あとは通信教育的な……電話で相談とか。経験がものを言うと思っているので、いろいろやってみて、経験して自分で覚えていく感じでした。
この師匠との出会いが、2011年の秋。で……帰ったら、そのときも妻が「うん、これは『やれ』ってことなんじゃない?」と言ってくれたので、よし、じゃあ染色をしていこうと。

——奥様は宇賀田さんの人生にとって、すごく重要なキーパーソンなんですね。
そうですね。決断を促すというか、いつも背中を押してくれる。



『奇跡のリンゴ』木村氏に影響を受け
自然栽培の米作りに挑戦中

——先ほど「多くない」と仰ってましたが、お米はどのくらい作ってらっしゃるんですか。
2011年の同じ時期、米作りのほうでも良い偶然がありまして。もともとうちの田んぼは、棚田が4枚だけだったんですけど、並びの田んぼを作ってた方が「今年でやめる」と言ってると聞いて、「じゃあ、僕やります」と、貸していただけることになったんですね。すごい偶然だなぁと。

——作る面積を増やせることになったと。
そうなんです。すぐ近所に住んでいたお母さんが持ってる田んぼなので、自由にやらせてもらってます。僕は東京にいたころから自然栽培に興味があったんですね。もともと父も減農薬でやっていたんですけど、僕は完全に無農薬でやりたいっていうことにこだわりがあったので、父と最初はかなり衝突して、「お前には無理だ」と言われたりしました。

——完全無農薬は、農業をしてる方ほど「そんなのできるわけない」という反応が多いですよね。実際、除草剤を1回散布して済ませるのと、毎日草取りをするのでは手間の掛かり方が大幅に違いますし。
そう、だからこの土地に合った水の管理の仕方とか、稲架はさの架け方とか、そういうところは父から教わって、無農薬での米作りは……他の人から教わったり、あとは独学で勉強したりしました。

——自然栽培に興味を持たれたのは、なぜですか?
奇跡のリンゴ』で有名な木村秋則さん著書を読んで、影響を受けたからなんです。その木村先生の講座が新潟市で受講できるということで、翌年の2012年、年間全部で4回か5回……受講しに通いました。今週末にも講座があるので、また行ってくる予定です。今は減農薬で有機肥料を使って育てているお米と、完全にその田んぼの土の力だけで育てる自然栽培米の2種類を作ってるんですけど、いずれすべて自然栽培米にしていけたらと思ってます。除草も、チェーン除草機【右写真】っていう道具を使って草が生えにくくしたり……

——ブログで写真を拝見しました。年々立派になっていく、竹と鎖でできた除草機。
それ、今はもう自分で作ってるのじゃなくて、長岡市の農業総合研究所の先生が試験機を貸してくださってるんです。

——研究所との提携もなさってるんですね。
提携というかモニターみたいな感じですけど、そうですね、たまたまご縁があって。その除草機を僕が使って、どういう効果が出てるかっていうのを調査していただきながら、米作りのアドバイスを貰って、というのをやってます。上越地区でも有機栽培の指導をなさってる先生なんです。



Uターンのすゝめ


周りが勝手に(笑)助けてくれる
それが凄くありがたい

——田舎に帰ろうと決められたときに想い描いていたことと今の生活とで、実現度・満足度というのはどんな感じですか。
そうですね……正直、かなり無計画で帰って来てるんですよ(笑)。地元に戻ってきてるわけですから、もちろん子供のころに送ってた暮らしを思い起こしはしましたけど……「どういう暮らしになるはずだ」とか、そういう期待や理想とかはあんまり無くって。でも、だから、途中で草木染めを思いついて始めたりできたと思うんです。生業として成り立たせるまでに時間は掛かってるんですけど、年々良くなってきて、先も見えてきたというところまで来れたので、これはやりがいのある仕事を見付けてしまったな、と……

——仕事に対しての満足感は大きいと。
大きいですね〜。あと、東京にいたころから釣りや登山に行ってて、自然のなかで暮らしたいという気持ちがあったので、それができてるのは良かったと思ってます。タヌキがいたりとか。冬になると、車を運転してて「電線の上に何かいる」と思ったらハクビシンが歩いてるんですよ。あれ、どうやって登ってるんだろう(笑)。あと、そこ【左写真】で洗い物をしてると窓の外の樹にフクロウが来て留まって、こっちを見てたり。そういう自然に触れられるのは、楽しいことだなと思います。山歩きをしていても、景色も良いですし……。

——暮らしを楽しんでいらっしゃるのが、すごくよくわかります。ブログには、ツバメのことも毎年書かれてますよね。
もともとここの玄関にはツバメが来てたんですけど、昔に比べて施錠することも増えたので、ツバメが出入りできなくなっちゃってたんですね。でも僕が戻ってきて、工房に「つばめのうた」という名前をつけちゃったので(笑)、これはツバメに巣を架けてもらわねばと、ツバメの通り道を作ったりして、それからまた毎年来てくれてます。【左写真】

——逆に、デメリットやお困りのことは何かありませんか。
うーん……うーん……。こういう山のなかでも、水道とかガスとかはちゃんと通ってる集落なので、インフラ関係で困ることは無いですし……買い物も、ネットを使えば何でも手に入りますし。デメリット……? 僕はあんまり気にならないんですけど、妻は、フラダンスをやってたり、文化的なことが好きだったりするので、そういうのを観る機会や、習ったりできる場所は少ないとは、昔、言ってましたね。

——確かに、東京や千葉と比べたら、数は圧倒的に少ないですよね。人付き合いの面などは、どうですか。
え、や、うーん、苦労か……(長考)。なんか……地域の……行事に出るのは……苦労じゃないし。良い面は言えるんですけど。

——もちろん、良いところでも結構です(笑)。
僕がこういう、ちょっと無謀な挑戦をしてるので、助けてくださる方がかなりいるなと感じます。僕ひとりだったら、たぶん何もできてないと思うんです。言い方は悪いんですけど、勝手に助けてくれる(笑)。僕が染色を始めたというのを知った人が、目新しいことを始めた人がいるよと言って、地域の学校などでの染め物体験の世話をしてくださったり。何かと心配していただいて、おせっかいを焼いてもらえて、そういう人たちがあってこそ今につながってるから、ありがたいなって凄く思います。東京にいたころは近所付き合いとかは一切無かったですから、戻ってきてみて、人付き合いって大切だなってわかりましたね。



道を切り拓くには
見返りを考えず、まずやってみる

——これから移住を考えようという方に対してのアドバイスをいただけますか。
そうですね……僕はあまりきっちり準備をせずに来たので、アドバイスになるかはわかりませんけど……でも、ポジティブな「行き当たりばったり」というか、どんな結果でも「行き当たりバッチリ!」と捉えるというか。期待しすぎたり考えすぎたりしてしまうと、可能性を狭めてしまうというところは、僕は気を付けてることなんです。「気楽に、とりあえずやってみる」というのが、道を切り拓くのに大切なのかなと思って僕はやってます。支えてくれる家族がいたり、絶妙なタイミングで出会いや良い偶然があったり、僕は運が良かったんだろうとも思ってはいるんですけど。

——決して、何でもかんでも考え無しにやってみろということではないですよね。
そう、ですね。フラットに、ポジティブに、まず行動してみる。行動してみたから、僕の場合は、今こういう結果があるんだと思ってるんです。会いたい人がいればとりあえず会いに行ってみるとか、見返りを考えず、ひとまず話を聞いてみるとか。そういうのが大事なのかなと思いますね。

——では最後に、今後についてお考えになっていることとか、目標ですとか、何かあれば教えてください。
まずは、今の仕事をもうちょっと拡げていきたいと思ってます。田んぼの面積を拡げるということではないんですけど、作ったお米を本当に必要としてる方……味だけじゃなく、健康に気を遣っているような方のところへお届けできたら良いなと思ってます。無農薬で、さっきも言いましたけど、自然栽培で育てたお米。染めの方は、より自然に優しいやり方で取り組めたら良いなと思ってます。実際、藍染めに関しては薬品を一切使わずに、天然素材だけで染めることができるようになったんですよ。だから、そっちに力を入れたいというふうになったんですけど。草木染めのほうは、媒染の作業でやっぱり薬品的なもの……でも使うのはミョウバンとかなんですけど、工場で精製されるような人工的なものを使っているので、もっと身の周りで手に入るもので染められるようになったら良いなと思ってます。昔の人は、原料を海外から輸入とかはしてないわけじゃないですか。藍染めも、育てて、染めて、色が出なくなったら、あとに残る滓はまた畑【右下写真】に肥料として戻してやることができるので、そういう、自然のなかで循環させられるものづくりを追求したい。

——お仕事以外の部分ではいかがですか。
そうですね。こういう人口が少ない所なんですけど……遊びに来てくれる人はみんな「良い所だね」と言ってくれるので、僕がこういうことをやっていて、人口を増やすとまではいかなくても、遊びに来てくれる人が少しでも増えたら良いなと思ってます。

——この集落は何軒くらいお宅があるんですか?
昔は10数軒ありましたが、今は4軒しかなくて……もしかしたら、いずれ無くなってしまう集落なのかなという感じがしてます。でも生まれ育った場所だし、ここの土地のことをもっとよく知りたいと思うようになりまして、戻ってきてすぐのころからGPSを持ってデータを取りながら、地図に載ってない古い道を見付けて探検したりしてるんです。米作りひとつ取っても、その土地の性格に合わせたやりかたとかありますし、そういうのがあと10年、20年してできる人がいなくなれば、途絶えちゃうんですよね……。でもそれきりでこの土地のことを知ってる人がいなくなっちゃうっていうのは、ちょっと嫌だなという気持ちがあって、だから、なるべく記録しておきたい。ここにはこういう集落があって、こういう文化があって、どういう人が住んでいて、どういうふうに道があって……とか、そういうのを、人から話を聞いたり古い資料を調べたりして、記録したものをいつかきちんとまとめるつもりです。それは、これからも続けていきたいです。

——今日は長い時間、ありがとうございました。
僕はかなり無計画なUターンだったので、ちょっと、反面教師的な回答者になっちゃってるかもしれませんけど大丈夫ですか? お役に立てれば良いですけど。よろしくお願いします。


2016年1月29日 掲載(2016年1月7日 取材)【な】


この記事のご感想、「U・I・Jターン経験者に訊いてみたいこと」などご質問をお寄せください。

 

| 会社概要 | サイトのご利用にあたって | 個人情報保護方針 | サイトマップ | 読者相談室 | お問合せ |
公益社団法人 全国求人情報協会
当社は、公益社団法人 全国求人情報協会の正会員です。
Copyright © TOHO Co.,Ltd. All rights reserved. 株式会社桐朋 〒943-0841 新潟県上越市南本町2丁目13番14号  TEL:025-526-0066
スマホ用の表示に切り替える PC用の表示に切り替える