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セキララU&I

【U】栗田 浩子 さん(上越市高田地区 在住)

 第4回は東京都品川区からUターンし、現在は上越市高田地区にお住まいで会社員・ATOART主宰・一児の母栗田 浩子さんです!






Uターン前〜Uターンのとき


ここには自然がある、食べ物が美味い、人が良い
あと○○○があったら…

——上越市内のお店に設置されていたライブコンサートのフライヤーで「上越事務局:ATOART」と栗田さんのお名前を拝見ました。……さっそくすみません、ATOARTの読み方は「アト・アート」で良いんでしょうか。
はい、それで合ってます。チラシには書いてないんですけど、ATOARTという名前の前にスローガンがあって「Nature, Food, People, ATOART」。日本語で言うと「自然がある、食べ物が美味い、人が良い、あとアート」っていうことなんですよね。映画だったりライブだったり美術館みたいなものだったり、そういうアート、“人間が作るクリエイティブな刺激”が欲しいなっていう……。

——なるほど!「あと、アート」が欲しいと。
どれもこっちに戻ってきたときに感じたことなんです。毎朝の出勤で交通渋滞も満員電車も無いし、街の真ん中から山並みが見えて、毎日その風景が季節によって移り変わっていく様子が見られて「こんな贅沢は無いな」と思ったのと、食べ物が何を食べても美味しいというのと……。東京でももちろんいろんな良いレストランや流行りのお店があって、友達とかと出掛けては美味しい美味しいって食べてましたけど、こっちでもイタリアンレストランとかもいっぱいあるし、少しも美味しさに遜色無いし。人も優しくて、大変な状況でもみんな黙々と働いているし。……ただやっぱり、たとえば音楽のライブにしても、特に海外のアーティストは東京あたりに行かないと生で聴ける機会が無いなと、それで「あとアートがあったら良いな」で、ATOARTです(笑)。

——では、順を追ってお話を伺いたいと思いますが……Facebookで公開プロフィールを拝見したんですが、Uターン前は電通にお勤めだったんですか?
そうですね、東京で最後に勤めていたのが電通。大学を出て最初に就職したのは、マッキャンエリクソン博報堂です。何年かして100%外資になったので、途中から「株式会社マッキャンエリクソン」ですね。そこではコピーライターとして9年半働いて、退職したあとはジュエリー製作の学校に通い始めました。

——ずいぶん大きな転身ですね。
広告、特にCMは1本を作るのにもすごく多くの人が関わるんですよ。それで良いものになっていくこともあれば、思ったほどでもないこともあり……自分で作っているという実感があまり持てなかったんです。それで「1から10まで、ひとりで何かを作ってみたい」と思って、ジュエリーなら作れるかも、と。でも作っているうちはお金が出ていく一方で、結局フリーランスの状態でCMプランナーとかコピーライターとか、広告のバイトをして食いつないでました。そのうちに、よく仕事を貰っていた電通のCD(クリエイティブ・ディレクター)に「社員としてやってくれ」と誘われて……入社後もジュエリーを止める気は無かったんですが、とても両方は続けられなくて、結果的にストップしちゃいました。



「このまま仕事だけで良いのかな…」
消耗していく自分を感じ退職、アフリカへ

——Uターンなさったのは、いつごろですか。
実は私もUターンの時期をよく把握してなくて(笑)……2006年はまだ東京で暮らしてました。2008年に今の会社に入ったんですけど、そのあいだに子供を産んでるので、2年くらい仕事はしてませんでしたね。

——ご結婚もその頃に?
いえ。結婚は、いずれはするものだと思ってたんですけど、してないんです。

▼ダカールにて。セネガル滞在中の栗田さんによる撮影
——そうなんですか。では結婚する・しないとか、出産だとかが2006年〜08年頃にかけての出来事?
ええ、それも会社を辞めてからそういう話になったんじゃなくて「このまま仕事だけで消耗していって良いのかな」「子供を産むなら年齢的にもうリミットだな」と思って、会社を辞めたんです。いろいろあって結婚しないでいた交際相手がアフリカにいたので、とりあえずアフリカに行きました。

——相手の男性はアフリカの方だったんですか?
そう、アフリカのセネガルの人。行ってすぐに子供ができちゃったんですけど、観光ビザだし、3カ月後にひとまず帰国。……で、そのままになっちゃった(苦笑)。

——そのままとは、それはまたなぜに……
まあ、いろいろあるんですけど。向こうにいるときは妊娠初期のつわりと、極度の貧血だったんでしょうね。立ち上がるどころか上半身を起こすだけでも辛くて、耳もずっとプールの中にいるみたいな状態。しかも砂漠気候の乾期で、極端に水の潤いに飢えちゃって……母の実家が妙高の関山【下写真】なんですけど、子供のころ遊んだ綺麗な小川の夢を見たり、「(日本の)コンビニに行って、好きなお茶を好きなだけ選びたいィ〜……」とか、本当に、切実に、そういう思いをして……それまでセネガルを含めて海外で一度も感じたことのなかったホームシックってやつにかかっちゃったんです。日本に居着いちゃったのは、そんな経験のせいもあると思います。

——妊婦さんには、セネガルの気候はきつすぎたんですね。
気候もそうだけど、食べ物。「蕎麦、蕎麦が食べたい……!」「ああ、ごはんに納豆かけて食べたい……」とか、泣けるほど強烈に恋しくなっちゃったんです。で、子供が生まれたらもう、子供だけで満足しちゃって。動物だってメスだけで子育てするし、オスはいなくても良いかなって(笑)。パパには本当に申し訳ないんですけど。

——では3カ月間のセネガルから帰国されて、しばらくは都内で母子ふたり暮らし。
しばらく、そうですね。帰国して、その年の12月に子供が生まれて。


——小さな赤ちゃんをおひとりで育てるのは、それはそれでかなり大変だったんじゃありませんか。
いやぁ〜、大変だったんでしょうけど……もう、かわいくってかわいくって、ずっと幸せでした。初めてのことで、他の子と比較のしようも無かったですし。



7年前、流れで就職が決まって
引越しが終わったのは先月です(笑)

——2008年にこちらで就職されたということですが、ではその少し前にこちらへ?
んー……、ずっと行ったり来たりしてました。子供が生まれたあと、実家の母が立て続けに2回、入院したんです。父はもう他界して母がひとりだったので、私はちょうど仕事もしていなかったし、東京に急いで帰る理由も無かったので少し母の様子を見てはあっちに戻る、みたいな生活がしばらく続いて……住民票を移したのも、就職した後だったんじゃないのかなぁ。だから「いつ戻ったか」はハッキリしないんですよね。荷物も、実は先月やっと引っ越しが終わったんです(笑)。

——え!? 今、7年目ですよね(笑)。本当に「Uターンの時期はハッキリしない」状態だったんですね(笑)。
はい(笑)。もともと寒いのがとにかく嫌で、高校の頃までは早く上越を出たくて「暖かいところに行きたい」と思ってたので、「沖縄に住むかも」とは考えても、またここに帰って来るとは全く思ってませんでしたねぇ。

——実質的に生活の場がこちらに移ったのは就職のタイミングでですよね。こちらで仕事に就くことになった経緯はどのような?
母の入院のことでこっちに戻ってくるたびに、地元のことを知りたいからTVでローカルの情報番組を見てたんです。見ているうちに「こういうコーナーがあれば面白い」とか、いろいろ思い浮かんでしまって、勝手に番組企画を考えてたんですよ(笑)。それで高校の同級生とメールのやりとりをしてるなかで「企画考えちゃった」って言ったら「TV局に知人がいるから、紹介するよ」と言われて……。「え? どうしよう」と思ってるあいだに重役の方々とお会いすることになり。そしてさらに「良い会社があるんだ」と紹介していただいたのが今の会社、バーツプロダクションです。……思いがけずトントン拍子で事が運び、流されるがままに現在に至ってます(笑)。会社にはいろいろとわがままも聞いてもらって、とてもお世話になってます。ありがたいご縁でした。


——バーツプロダクションは映像・デザイン・Webサイト制作などいろいろ事業を展開されてますよね。栗田さんはやはり映像のお仕事をされてるんですか?
なんでも屋です(笑)。とはいえ、ひとりじゃなんにもできないんですけど。こっちの人たちはグラフィックデザイナーでも映像のカメラマンでも、ひとりで何でもできちゃうのでびっくりでした。東京では考えられない働き方です。なので「できない」なんて言っていられなくて、私自身もマンガを描いたりテレビ番組のディレクターをしたり、広告代理店時代にはまったく経験が無かったことにも挑戦させてもらってます。

——フリーペーパー「cocola」も、バーツプロダクションですよね。
そうです。入社当時、ちょうど「自社発行の媒体を創りたい」という話があるということで、cocolaはネーミングもそうですし、立ち上げから関わってました。今はcocola以外の仕事がだいぶ忙しくなっちゃってますが。



Uターン後


東京ではまずあり得ない状況が
上越のライブでは生まれる

——ATOARTのお仕事はどのようなきっかけで始められたんですか?
ATOARTは仕事というか、ボランティアに近い活動なんですよ。東京や海外のアーティストのライブコンサートを上越で企画したり、そのプロモーションや公演の現地サポートをするという感じです。

▼ photo: Lars Opstad
——では、イベンターのような活動をしているグループなんですね。
イベンターと言えるほどのことは、まだやってないです。それとグループでもなくて、そういう手配関係はほとんど私ひとりでやってます。チラシの問い合わせ先とか、あとローカルの媒体で告知を打つときに「栗田」って個人名じゃ締まらないなということもあって、「ATOART」という名前を使ってるんです。市内在住のフリーのデザイナーさんと一緒にオリジナルのチラシ【左画像】も作っていて、そういう制作物に関しては、ふたりでATOARTですね。

——いつごろ始められたんですか?
2011年です。ピーター・バラカンさんのラジオ番組を、インターネットFMでよく聴いてたんですよ。そのなかですごく良い曲が掛かって「わ〜良いなぁ、良い曲だなぁ」と思っていたら、「ライブがあります。チケットをリスナーにプレゼントします」って言うんですよね。でも会場は東京だし、当たるとも思わず応募してみたら、当てていただいて。母には「何の相談も無く!」って叱られたんですけど、「当たっちゃったから、お願いします、お願いします!」って(笑)子供を置いて泊まりがけで上京してライブを観に行って……会場にいらっしゃったプロモーターの方に「上越でもライブをやってもらえませんか」って、話し掛けたんです。それがきっかけ。

——運命の導きのような始まりなんですね! てっきり、都内でお勤めの頃からのつながりで始まったのかと。
ではないんですよ。上京したその日、上越はすごく雪が降っていて、それに当時まだ北陸新幹線も開通していなかったから、移動にも時間も掛かりますよね。それで「雪の上越から3時間掛けて来たんです。東京まで来るの、なかなか大変なので、上越でライブをやってもらえませんか」って言ったら「良いですよ〜」って(笑)。「じゃあ一度、上越がどんなところか見に来てください」って言ったら、翌年、お花見のタイミングで見に来てもらえたんですよ。とりあえず高田公園を案内して、たしか高田世界館浄興寺も案内しました。それから少し間が空いて……次の年、2013年の2月、ラ・ソネ【写真】でしたね、上越での初ライブが決まったのが。

——その場限りの雑談で終わらずに、上越公演が次々と実現してるというのがすごいですね。
そうですね。こっちでライブをやってみて思うのが、都内のライブハウスではまずこんなことはあり得ないだろうなっていう状況になるんですよ。最近はほとんどラ・ソネでやってるんですけど、あそこは木造で天井も高くて、音がすごく良いんです。まだ私がなかなか集客できなくて20〜30人しか集まらない小ぢんまりしたライブなんですけど、音も良いし、至近距離で聴ける親近感もあるし。終わったあとに必ずその場で、お客さんも交えて打上げをするんですよね。ご主人がお料理をいっぱい作ってくださって、お酒とかもガンガン飲み放題状態で、アーティスト達もすごく喜んじゃって(笑)、そこからまた第2部が始まる勢いで楽器を弾き出したり、お客さんとセッションになるんです。このあいだのARVVAS【画像】のときも大変でした。ARVVASのふたりをホテルまで送らなきゃならないのに0時を過ぎても終わらず、私は次の日、引っ越しで東京へ行かなきゃならなくて、お願いして止めてもらったくらいにして(笑)。


  • ▲今年のARVVASライブの様子

  • ▲今回のチラシ。ATOART制作
    (photo: Knut Aaserud)

  • ▲ラ・ソネ菓寮の店内。イートインできるテーブルスペースがあり、ライブ会場にもなる

したい暮らしは自分で作るしかない。
自給自足感覚でやってます(笑)

——大盛り上がりですね。行ってみたいです。
ええ、来てください、ぜひ。実は明日もあります(笑)。以前、あまりに集客できず「申し訳無いから、もうツアーから外してもらって良いです」とプロモーターさんに言ったこともあるんですが、「アーティストがここへ来ると喜ぶから良いんだ」と言っていただいたんです。たしかに新宿ピットインだとかとは全然違って、アットホームなのが良いんでしょうね。たぶん、会場とか土地の雰囲気、味があるんだと思います。それにしてもあまりにもお客さんが少ないと、演奏が良ければ良いほどアーティストに申し訳ないし何よりもったいない! と思うので、なんとかもっと多くの人と分かち合えないものかと奮闘しているところです。

——これまで何回くらい、ATOARTサポートのライブが開催されてるんですか?
ATOARTという名前でやり出したのは1年ちょっと前くらいからで、一番最初の頃はcocolaを絡めて「cocola編集部 栗田」としてやってたんです。その後、仕事は切り離して個人でやり出してからATOARTになって……全部合わせて20回以上はやってます。上越も最近、こういう形で「自分で好きなアーティストを呼んで開催する」っていう人が増えてきて、すごくライブが多くなりましたよね。

——急激に増えた感じがありますね。
ね。映画も、去年、世界館に若い支配人さんが来てからは、いろいろ面白い作品を切れ目無くやってくれてるし。「あとアート」と思ってたのが、最近は「あと何だろう?の栗田浩子」みたいな感じに(笑)。そこを掘り下げて行ったらビジネスになるのかもしれないし、それで食べていけたらUターン・Iターンにも夢が持てますよね。もし東京だったら、これだけの仕事をボランティアでなんて全く考えられないことですけど、地方にいると自分がしたい暮らしを手に入れるには自分で動くしかないので、私はボランティアというより“自給自足”という感覚でやっています(笑)。実際、新幹線が通ったとは言っても、東京はそうたびたびコンサートだけのために行ける距離じゃないですからね。それに、また東京で刺激満載の生活をしたいとも思わない……というより、東京からはもうあまり刺激を受けなくなりましたね。



Uターンのすゝめ


高田の雁木通りは時が止まっているよう
古いけど不思議なくらい綺麗

——かつては「出たい」と思っていた上越に暮らしてみて、改めて気付いたことですとか、何かありますか。
いっぱいありますよー。やっぱり一度(外に)出てみないと、地元の良さってわからない気がするんです。さっきも言った街のなかから山が見えることとか……東京はまず見えないですよね、よほど高いところに上ってじゃないと。上っても遠くに富士山が見えるくらいで。山が見えることがこんなにも清々しい気分になれるものだということも、Uターンだから気付くことなんじゃないかと思います。東京にいたら、あるいはずっとここにいたら「山が見える? それがどうかした?」っていう考えになるように思うんですよね。あと、街なかにゴミが落ちていないこと。

——それはやっぱり、東京との比較ですか。
そう、明け方の渋谷とか酷いですからね。こっちは綺麗だし、高田の雁木も……時が止まっているみたいですよね。うちも雁木の町家なんですけど、近所にも雁木の下の敷石が私が子供の頃のまま変わっていないお宅があって、そこを歩くと頭がくらくらするような、時間が止まっている感じがします。【下画像】よその人があれをどう思うかは分からないけど、私はここで生まれ育ってるから、すごく懐かしさを感じるし……古いけど、汚くないんですよね。それと「雁木の匂い」があるんです。

▼〈参考〉雁木の屋根と石畳(写真提供:高野醤油味噌醸造店

——匂い? 雰囲気とかではなく?
本当の匂いです。夏の朝起きて、新聞を取ろうと玄関を開けると気付く匂いが、子供の頃と変わってないんです。「これは雁木の木の匂いなのかな」って、こっちに戻ってきてから気付いたんですけど……。町家は家のなかにまで陽が射さないので寒いし、建て替えにも余計にお金が掛かることもあるし、雪も自由には下ろせないし、大変なことも多いですけどね。

——故郷の匂いそのもの。魅力的なお話ですね。栗田さんはご近所付き合いは苦になりませんか。
戻ってきたばっかりの頃は多少戸惑うこともありましたけど、やっぱり良いものですよ。「おかずいっぱい作ったよ」ってお裾分けとかもしますし、子供がワ〜ッとどこかへ遊びに出て行くところへご近所さんから「あら、どこ行くの」なんて声を掛けてもらえることとか、東京の集合住宅じゃあり得ない。今は本当に「町家ってコミュニティがあって良いな〜」って思います。



東京より理不尽なこともいっぱいある
子育て世代はよく理解してから移住を

——上越市と一言に言ってもものすごく広いですし、それはまさに高田という街の特性ですね。
そうですね。でも東京から戻った人間にとってはすごく理不尽に思えることもいっぱいあるんです。市内でも、いつでもゴミを出せる集積所って、あるところにはあるじゃないですか。うちの辺りには無くて、ゴミ当番が朝の5時に雁木にネットを出さなきゃいけないんです。うちの近所なんて、ひとり暮らしの高齢者ばっかりですよ。「こら、お年寄りにそんなことさせてんのか!……って、誰に言ったら良いんだ!?」みたいな。じゃあどうしたら良いのか、私も相当考えたんだけど……集積所を作るには場所が必要だけど、空いてる場所が無い。場所を借りるとすると、お金が掛かる。結局その町内の問題になっちゃうんですよね。でもそれを町内だけで解決しろっていうのもなんか変な話だなと思いつつ、今もそのままなんですけど、これは重要な問題だと思ってます。

——町家は建物が連なっているからネット方式を採用ということなんでしょうね、単純に。
うーん。たとえば高齢の住人の方が認知症になったら……ネットを出すのは無理ですよね。だからその人は当番から外してあげようよ、ってすると、他の人の当番が早まって負担が増すわけです。まずは町内で支え合おうという住人同士のつながり、コミュニティ自体はすごく良いなぁとは思うんですけど、でもどう考えても、じきに破綻しますよ。市議会で誰か発言してくれないかなぁ……。

——他にも何か、問題だと思われていることはありますか。
あります。これも市議会で話し合ってほしいことなんですけど、子育ての補助が、びっくりするくらい無いです。子育てするには田舎が良いって言いますけど、お金の面では東京のほうがずっと手厚かったです。母子家庭の場合、子供が18歳になるまで母子ともに医療費は無料だし、品川区では水道代が無料でした。学童保育は2,000円。上越市の放課後児童クラブは最近値上がりして6,000円になって、平成30年からは8,000円になるんですよ。酷くないですか? 値上がりについては、一応、市民プラザで説明会があるというので行ってきたんですけど、来てる人もまばらだったし誰も何も言わないので、私ひとりで暖簾に腕押し状態ですけど文句を言ってきました。

——上越市は全国でもトップクラスに福祉に関する税金が高くて、その代わりにサービスも良いと言われてるのに……
そうそうそう。あちこちに高齢者も多いし、予算の取り合いになるのは仕方ないことなのかもしれないけど、でも「少子化をどうするか、産めよ増やせよって言ってるのに、こんなことで良いのか!」って市の人に食いついてきたんです。子育てするには環境が良いだけに、補助が手薄なのが残念です。子育て世代の人だったら、UターンにせよIターンにせよ、よく確かめて、理解してから来たほうが良いと思います。



住む人が増えれば個の負担は減るし
楽しみは増える

——お子さんのこと、ATOARTのこと、ご自身のことも含めて、これから先の上越地域に対してどういう希望やビジョンをお持ちですか。
そうですね。北陸新幹線が「どうするどうする」って言ってるうちに開通しちゃって「(駅周辺に)何もできてないじゃないか」なんてよく言われてますけど、私、観光客はそれほど来てもらわなくても良いかなと思ってるんです、疲れちゃうから(笑)。でも、住む人が増えると良いなぁと思ってて、特にこの町家界隈に。今も、空き家問題を何とかしようって動き始めてる人たちがいますけど……UターンなりIターンなり、若い力が増えると良いですよね。住む人が増えたら、児童クラブもまた少し安くなるかもしれないし(笑)。要は、数が少ないから個人の負担が増えるんですよね。だから、仲間が増えると良いなと思います。それに、「あとアート」だったのが、だんだんアートも充実してきてるので、住人が増えたらそういうアートを楽しむ仲間も増えますよね。

——これからUターン・Iターンを考えたいという方に、何かアドバイスをいただけますか。
私もそうだったけど、40歳くらいで帰ってきてる人が最近けっこう多い気がするんですよ。同級会が開かれたり、何か郷愁に駆られるきっかけが生まれるのがそのくらいの歳なのかもしれませんね。私は一度外に出てみないとわからないこともあると思うし、愛せない気がするので、みんな一度は外に出てみたら良いんじゃないかと思ってます。ただ、戻ってきたときに「上越だけ」で仕事をしようとすると、都市部で働いてたときと同じことをしても同じような報酬は得られないので、愕然とすると思います。どうしたって、パイが違いますから。だから、たとえばネットを使って育てた野菜を全国に売るとか、ここに住みながら外ともつながる仕事ができれば、それがいちばん贅沢な生き方になるんじゃないかな。

——お子さんの将来のことも、お母さんには大きな楽しみですよね。
そうですねぇ、子供はかわいくもあり、手を焼く存在でもあり、でもやっぱりかわいくてしかたないんですよね。息子もいずれはこの街を出ていくときが来るんでしょうけど、今、子供時代を私のふるさとでゆったりのびのび育てることができているのは、ありがたいと思ってます。あの子がこれから先、どこで暮らしていくことになるのかはまだまったくわかりませんが、おばあちゃんが作ってくれた煮物や野沢菜の味が染み付いてることは確かです……“お袋の味”ではなく(笑)。さっきは行政のことで文句を言っちゃいましたけど、今、私が仕事をしながら子供との時間を充分取れているのは母の存在が本当に大きいです。こんなふうにおばあちゃん(母)の世話になれるのは、ふるさとの実家だからですよね。仕事と子育てで、もし東京やほかの土地で悩んでいる人がいたら、やっぱりUターンはおすすめですね。Iターンの人でも、この地域ならきっと誰かが面倒みてくれますよ(笑)。

——今日はすごくたくさんの、いろいろなお話を聞かせていただきました。本当にありがとうございました。
いえいえ、こちらこそ。ありがとうございました。


▲次回のATOARTサポートライブ。画像クリックで別ウィンドウが開き大きな画像をご覧いただけます(photo: Sergey Ushakov)


2015年12月28日 掲載(2015年12月3日 取材)【な】


今回のインタビューは上越市「町家交流館 高田小町」にて行ないました。


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