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セキララU&I

【U】藤田 貴光 さん(上越市高田地区 在住)

 第3回は栃木県宇都宮市東京都町田市からUターンし、現在、上越市高田地区で社会保険労務士をされている藤田 貴光さんです!






Uターン前〜Uターンのとき


当時の夢はワインのバイヤー
Uターンするつもりは無かった

——まずはUターンの経緯をお伺いしたいと思います。
社会人になってすぐの頃までは、Uターンするつもりはまったく無かったんです。私は宇都宮大学農学部の「農業経済学科」という、当時はまだかなり珍しかった“農業”と“経済”が一緒になった学科に在籍していたんですが、大学時代にワインにハマって、卒論でテーマをワインにしたくらいワイン好きだったんですよ。それで、就職した成城石井で将来はワインのバイヤーになろうと思ってました。こっちでも少し取り扱ってるスーパーがありますよね、あの成城石井です。

——社労士とはまたずいぶん方向が違っていたんですね。
私はそのときそのときの流れに任せて生きてきた人生なんです(笑)。大学受験で一浪してるんですが、現役時代は単に身体を動かすことが好きで体育教師になろうと思っていたし、浪人期間中は当時ちょうど米の貿易自由化が起こったんですね。それで、これからの時代は農業の経済や流通が重要になるかもしれないと、現役時代とは全く違う学部を選んだという。

——では今も密かに胸の内ではワインバイヤーの夢が……?
無いです!(笑) 飲んではいますけどね。学生の頃は安い海外のテーブルワイン、今はずいぶん有名になりましたけど当時チリワインとかね、安くて美味いのを片っ端から買って飲み比べたりして……でも今はワインよりも日本酒ですね。そのくらいの情熱だったので、未練はありません(笑)。



実家のピンチにUターンを決意
社労士を目指したのは…

——大学進学から最初の就職まではある程度流れが解るんですが、Uターンされて社労士になるまでの間には何か大きな転換点があったんですか?
就職してほんのすぐ、23歳の夏頃ですかね。この事務所は以前は父がやっていたクリーニング工場だったんです。継いでいれば私が3代目だったんですが、継ぐつもりは無いよというのは最初から言ってあったので、父の弟、つまり私の叔父が後を継いで、その後は叔父の子ども達に受け継いでいこうかという話になってたんですね。ところが後を継ぐはずだった叔父に末期の肺癌が見つかりまして……。そのとき叔父の息子達はまだ中高生だったので、代わりに継ぐなんていうのは当然無理ですよね。手が足りないとうことで、私のところに連絡が来たんです。常ならうちの親はそんなことを言ってきませんし、本当にピンチということは解りましたので、じゃあ帰ろうかと。決して、積極的なUターンではないですよね(苦笑)。

——では一旦は藤田さんがクリーニング店を継ぐことになったんですか。
いえ、あくまで当面やらなきゃいけない仕事や足りない人手をカバーするためです。もしかしたら叔父の子ども達が成長後に継ぎたいと言うかもしれませんでしたし、結果的に店は畳みましたけど、いずれにせよ私はソフトランディングのためのつなぎとして、叔父の仕事を引き継ぎました。

——そこから社労士への道はどのように繫がっていくんですか?
そこはほら、私自身はクリーニング屋を続ける気は無かったわけですし、先々を考えて「資格でも取ろうか」と。クリーニング店は衣替えのタイミングで繁忙期と比較的ゆとりのある時期とがあるので、勉強する時間もあったんです。当時、うちの店は顧問料を払って社労士さんなり税理士さんなりにお願いしていたので、じゃあ私がこの資格を取れば……と。店の仕事も補えるし、店で実務をやりつつ、資格があればいずれ自分が独立するときにも活かせるな、という考えです。





Uターン後


5回目でやっと合格、
だからこそ得られたものも多い

——いつごろから社労士試験のための勉強を始められたんですか?
えーと、平成15年(’03年)に合格していて……ということは平成11年(’99年)からですね。最初は2〜3カ月の勉強で受けて、落ちました(笑)。私、実は5回目でやっと受かってるんですよ。

——社労士の狭き門を思えば5年掛かるのも納得できる気もしますが、5年間もよく挫けずやり通されましたね!
クリーニング屋はするつもり無かったし、それに始めたからには最後までっていうのは決めてましたから。私ね、人生にこれという大きな目標を掲げたことも無いですし、昔からいつもその場その場で考えながら決めて動いてるので……それこそ大学受験も、そのときの流れで決めましたしね(笑)。始めるまではフラフラしてますけど、でも決めたらやり通しますね。

——今、「知びっとサポート」のwebサイトには「国家資格を取ろう!」と大きく標記されていて、資格講座の紹介が中心になっていますけれども、社労士のお仕事と資格講座の講師と、兼業なさってるんですか?
実は講師業はもうかなり縮小してます。今すでに9割超が社労士の仕事で、来年からは専業になる予定です。以前は、講師業をメインにしてました。さっき言ったとおり私は5年がかりで社労士試験に合格したんですけど、3年目くらいだったかな、同じ社労士を目指す受験仲間ができたんですよ。5年間でいろいろな落ち方(笑)を経験したので、自分で原因や対策を突き詰めていって……仲間たちと「受かったら来年はボランティアで教えるよ」と話していて、平成15年(’03年)の試験では受かったのが仲間内では私だけだったんですよね。それで、市民プラザなんかで場所を借りて週1回、3人の仲間に教えて、翌年、2人合格したんです。5年間で培ったテクニックや“押さえるべきポイント”みたいな知識がありましたし、大学時代も家庭教師のアルバイトなんかをしていたので、教え方もなんとなく解ってたんですよね。

——3人中2人は凄いですね。最初はボランティアで、「知びっとサポート」を開設されたのは……
「知びっとサポート」を始めたのは、平成20年(’08年)の11月からです。2年くらいボランティアで仲間たちに教えたんですけど、だんだん教えることに手応えも感じるようになって……そんなときに、母が何かで市内の資格スクールの講師募集の記事を見付けてきたんですよ。今は子安から南城に移転したようですが、上越ビジネスチャレンジセンターというスクールです。当時その講座内容に社労士もラインナップされていたので、すぐ応募して、即採用。それが、お金を貰って講師をやるようになった最初ですね。でもそのスクールが受講者の減少などで講座を縮小することになって、行き場の無くなっちゃった生徒さんがいたので、その受け皿として「知びっとサポート」を作りました。最初は社労士事務所ではなく「塾」としてスタートしたんです。【下写真】

▲藤田先生が教える講義の様子

▲藤田さん厳選のテキストがずらりと並ぶ



講師として得た人脈が
社労士としての今を支えてくれている

——では「社労士事務所」を始められたのはその後なんですね。
2011年(H.23)の1月からです。社労士は試験に合格しただけでは「社労士」と名乗ることはできなくて、登録が必要なんです。その登録にも「開業登録」と「勤務登録」「その他登録」っていうのがあって、講師を始めるときも「社会保険労務士」と名乗って教えたかったので、資格スクールに行き始めるのにあたって「その他登録」をしました。そこから数年間は講師が専業で、他の学校も兼任して教えてましたね。上越情報ビジネス専門学校(現:上越公務員・情報ビジネス専門学校)とか、あと柏崎(中越)にも行ってました。で、「開業登録」をしたのが2010年12月。そのときに「知びっとサポート」から「知びっとサポート社労士事務所」に看板を変えて、社労士としての仕事、各企業さんからの仕事をいただくようになりました。【下写真】

——では、そろそろ丸5年。来年からは社労士を専業になさるということですが、その移行も何か理由があったんですか?
教える仕事をしていると人脈が広がるじゃないですか。生徒のなかにも税理士をされてる方とかがいらっしゃったので、そういったツテから依頼をいただくことはあったんですよ。最初は「開業登録」をしていなかったのでお断りしてたんですけど、だんだん生徒が少なくなってきたりして、シフトチェンジのタイミングかなと決断したのが2010年(H.22)でした。

——その後、社労士としてのお仕事は順調ですか?
おかげさまで、教える仕事がスローダウンするのに反比例して労務の仕事が増えてきた感じで、うまくシフトチェンジできましたね。今は完全にひとりでやってるんですけど、そろそろ手一杯かな、というくらいには。講師時代の人脈がすごく生きてます。生徒の紹介もありましたし、生徒が顧問先になってくれるケースもありましたし。



「アベノミクスによる好景気」は
一切感じたことは無い

——こうしてお話しを伺ってみると、いろいろなことがきちんと今につながってるんですね。
流れに身を任せて、結果的にこう……全部、後付け、後付けでうまくいってるんですよね(笑)。特別な夢や目標があったわけじゃなく、環境に合わせて選択していったというか……どうですかね、そういう生き方もアリですよね。

——大いにアリなんじゃないでしょうか。藤田さんのお話から、すごく充実感が伝わってきますし。
充実はしまくってますね! 僕の人生、シフトチェンジだらけなんですよ(笑)。小さい頃から大きな夢を持って頑張るのも、もちろん素晴らしいと思います。『夢は牛のお医者さん』とかありましたよね、ああいうのは凄く尊敬しますね。でも私みたいな、今ある環境のなかで目標を見付けてやっていくのでも、そこで楽しさややりがいを見付けていく生き方も……今が充実しているからなんでしょうけど、良いと思ってるんですよ。

——社労士としての仕事はどういう点にやりがいがありますか?
たとえば解雇トラブルですとか、裁判などの大ごとになる前に解決できたときはやりがいを感じますね。経営者と従業員の対立が生じたときに中立の立場で意見を聞けたり、逆に意見を言えたり。当事者同士だとヒートアップしてしまうものを、社労士は客観的な専門家として話ができますから、そのワンクッションがあるだけで全然違いますよ。これからもっとニーズは増えると思います、ブラック企業のこととかハラスメントとか、マイナンバーとか、いろいろありますから。

——移住をお考えの方のための参考情報として、社労士の藤田さんにリアルなご意見を伺いたいんですが、上越の雇用・就労環境や経済状況について何か感じていらっしゃることはありますか。
いやぁ、一言ではとても言えませんし、あと私は上越と一部柏崎の企業さんしかやってないので、特徴みたいなことはちょっと説明できないですけど……あ、でも開業社労士の仕事って基本的に中小零細企業なんですね。大企業には専門の部署があったり、社内に社労士がいたりしますので。中小企業さんの仕事をやらせてもらっていて、私は「アベノミクスによる好景気」は現時点で一切感じたことは無いです。恩恵を受けているのは、全国でも本当に限られたごく一部の大企業だけでしょうね。非常に厳しいですね。



Uターンのすゝめ


士業は人脈がすべて。
地元でなければ、やってない

——Uターンをして良かったと思えることは何かありますか。
やっぱり「人脈」という強みは大きいです。同級生もいっぱいいますし、昔フジタクリーニングを使っていただいていた方もお客さんにいますし。母方の祖父も昔、この近くで清滝寿司という寿司屋をやってたんです。そのお客さんだとか……共通の話題にできる地元のネタとかつながりがあったので、そこからの人脈の広がりも大きかったですね。サムライ業で独立開業するのは「人脈がすべて」に近いところがあって、そうでなければ自分で営業をかけて「まずは人脈づくりから」です。「はい、事務所構えました」だけでお客さんが来るわけ無いんですよ、当ッたり前ですけど。相〜〜当〜〜な、営業力が無いと(力説)。

——では人も企業も多いからと言って、東京などの大都市で事務所を構えても、却ってハードルは……
遥かに高いですね、だとしたら私もやってません。地元だからこそ、うまくいったと思います。人脈の無い都市部でやるとしたら、私だったら講師業でしょうけど、それだと大手資格スクールに就職して講師をすることになるのかな。でも、そんなつもりも無かったですし。

——では社労士としての地盤が築かれた今は、完全にこの上越が拠点に。
ですね。

——Uターンされて約19年。今はどのような生活スタイルですか? 仕事とプライベート、それぞれに。
顧問先の業態もいろいろですので、仕事は年中無休体制です。電話もメールも携帯に転送にしてあって、忙しい時期は朝も夜も関係無く連絡が来ますから。日々の動きとしては、平日の午前中は書類作成などの事務所仕事。午後は顧問先や役所に出向いて、ご挨拶をしたりお話を聞いたりが多いです。1年の動きでいくと、春が従業員の異動なんかで忙しくなるのと、社会保険関係の仕事が一気に来る6月〜8月がピークです。

——たしか、社労士試験も8月でしたよね。
そうです、仰るとおり。おかげさまで社労士の実務が増えてきたので今年は新規の生徒さんは取ってなかったんですけど、それでも、時間的にも体力的にも今年はもう本当に厳しかったですね(笑)。あとは開業労務士は県の社労士会に所属しなければならないんですけど、その会の役員と、上越支部の役員を兼任してます。

——本当にお忙しいですね。お身体は大丈夫ですか?
でもね、こまごまとしたものも含めて、年中無休体制ではありますけど……ほらこれ、“ダメになるクッション”でしょ(笑)。忙しいときの寝泊まり用の布団に、デスク作業のときはフットマッサージャーも使ってます。忙しいとは言っても、基本、自分のペースでリラックスしながら仕事してるので、ストレスはあんまり無いんですよ。あと、音楽を大音量で掛けっぱなしでやってます。ここは元がクリーニング工場の鉄筋建築なので、音が良い具合に響くんですよ。中学で吹奏楽部だったのでクラシックも好きでね、聴くのは主に「のだめカンタービレ」とかですけど(笑)。あっ、あと高校の同級生にヴァイオリニストがいて、増井健一ってご存知ですか? 良いんですよ〜、彼の音楽もよく聴きますね。

  • ▲(藤田さんの)ダメになるクッション

  • ▲修羅場を生き延びるための(涙)寝泊まり用セット

  • ▲フットマッサージャー。これはかなり気持ち良さそう

——ストレスフリーな環境作りを工夫されてるんですね。でも泊まり込むほどとなると……ご家族から心配されたり、逆に冷たい目で見られたりとか、ありませんか?
ええ、わたくしバツイチ社労士、独身ですので大丈夫です(笑)。2000年に結婚して’06年に離婚してるんですが……僕が結婚生活をギブアップするかたちでの離婚だったので当時は人生ドン底の気分でしたけど、離婚後、周りの友人なんかからは「人が丸くなった」と言われるようになったんですよ。今振り返ってみれば、この結婚〜離婚の期間があったからこそ成長させてもらえたんだなと思いますね。離婚した’06年ってフジタクリーニングが廃業した年で、講師業をスタートした年でもあるので、ものすごく大きな変化の年でしたね。



同じようなことを別々にやってるのを見ると
一緒にやりゃぁ良いのにとは思う

——プライベートで「Uターンして良かった」と思われることは何ですか。
それもやっぱり、人との付き合いじゃないですか。全部活かされてますよね、プライベートも仕事も。同級生もですし、もともとうちが商売家系っていうことも……あ、このビルの表側も「Cafe Air」って叔母の店なんです。うちや親戚がやってた店のつながりの方とか。故郷ならではの「人」に恵まれたかたち、つながりですよね。

——人脈の太い繋がりの背景に、田舎ゆえの世間の狭さというのもあるんじゃないかと思うんですが……
そうですね。

——その点で苦労なさったことや嫌なことっていうのは、ありませんか?
えっ?

——地方の過疎化の原因のひとつとして、若い世代は田舎の「狭さ」、たとえば「噂話がすぐに広まる」ですとか、そういう部分を嫌うというのはテレビ・新聞などでよく聞かれる話だと思うんです。なので、実際に上越の中と外をご存知の藤田さんに伺ってみたかったことのひとつなんですが。
はいはい、なるほどね。……いやぁ、無いなぁ。私は感じたこと無いですね。親世代とか、親世代が作ったものに関しては……NPOとかね。高田と直江津と妙高でそれぞれに同じような団体があったり、似たようなことを別々にやってたりするのを見ると「一緒にやりゃぁ良いのに」って僕ら世代は思いますよね。そういう意味で「狭く区切られた世間」を感じることはありますけど、嫌な思いをしたことは無いです。

——では人間関係や人付き合い以外で、上越の嫌なことってありますか?
うーんと……そうですね、大変って言ったら事務所の周りや町内の除雪作業ぐらいじゃないですか(笑)。それ以外に感じたこと無いなぁ、欲しいものはネットで買えるし。上越って良いところですよね? 食べ物は何でも美味しいし……生活のうえでのストレスは、考えても思いつかないですね。



昔はただの田舎と思ってたけど
まだ知らない魅力がいろいろある

——では次の質問ですが、藤田さんから見て上越地域の魅力って何でしょう。
(2005年の合併で)上越市って新たに13町村が併合したんでしたよね。そもそも私もまだそこ全部は知らないですし、最近初めて行ってみて「こんな良いところあるんだ!」って思ったりしてます。あと妙高市ですけど、大洞原のひまわり畑【下写真/左・中央】は今年初めて知りましたしね。高田公園の桜【下写真/右】は当然として、まだ知らない魅力がいろいろあると思います。大学時代、私の主な生活は学問じゃなくて(笑)、バイトだったんですよ。

  • ▲耕作放棄地を再生して作られた花畑には季節ごとの花が咲く。約1hに無数に咲くヒマワリは圧巻!(写真提供:妙高市役所観光商工課)

    毎年ひまわりまつりも開催されている(右画像をクリックすると「ハートランド妙高」のwebページが開きます→)

  • ▲高田公園「日本三大夜桜」

——そうですか(笑)。どんなことをなさってたんですか?
郵便局とか、鉢植えのリースの植え替えとか、さっきも言った家庭教師とか、バイトばっかりしてお金を貯めて、海外に行きまくってました。エジプトとか、アラスカ、インド、面白そうなところ10カ国くらいに行ったかな。その頃はただ「世界の有名なところに行きたい」って外しか見てなくて、「上越なんてただの田舎だ」と思ってたんでしょうけど、こうやって帰って来てみたら「良いところがいっぱいあるな」って、近場ですごく感じるようになりましたね。これは歳を取ったからなんですかね?(笑) 妙高山もいもり池も綺麗だし、ただの田んぼの風景も良いんですよね。ウォーキングもするんですけど、関川沿いの遊歩道を歩いていて「良い景色だな」って。あと今年初めて米山登山もして、すごく気持ち良かったです。

▲高田地区、関川沿いから眺める頸城三山。左の頂が妙高山、その連なりで画面中央の頂が火打山、手前右が南葉山

——仕事がお忙しくても、プライベートもいろいろ楽しまれてるんですね。
そうですね。そこはほら、個人事業主の良いところで、いろいろ調整できますから。あと電子申請が本格的に導入されて、24時間手続きできるようになりましたから、数年前と比べてかなり時間の短縮ができてます。



昔からの人とのつながりこそ
Uターンのいちばんの強み

——Uターンをするのにあたって、必要なこととか、欠かせないものって何だと思われますか。
人付き合いを大事にすることだと思います。Uターンってことは昔からの知り合いだとかが必ずいるので、そういう人たちを大切にしていくことですね。

——進学なり就職なりで外に出ると、地元の人との付き合いはよほど親しくない限り一旦は途絶えますよね。
私も途絶えてましたよ。帰って来てから仲良くなってるのは、小さい頃に仲が良かった奴じゃないですからね、逆に小さい頃嫌いだった奴とか(笑)。知ってるだけで付き合いの無かった人とか、大人になって会って話してみると面白い人だって判ったりね。嫌いだった奴も大人になって会ってみれば……たぶん、お互いに変わってると思いますよ。そうなると、おもしろいですよね。そこをフルに活かせないと、Uターンのいちばんの大きな強みがもったいない。僕の同級生は定期的に同級会もやってるんですよ。あと、近くに親がいるのは何かとありがたいですよね、やっぱり。

——ご両親も、藤田さんが社労士さんとして活躍なさっていることをきっとお喜びでしょうね。
だと思いますけどね。そうだと嬉しい。この辺りは商売をやってる家が多くて、私の同級生たちも後を継ぐために戻ってきたりしてるなかで、私は、継がなかったんですけど(笑)、でも、この店舗跡をきちんと使うことができたのは良かったと思ってます。これ、ひぐちキミヨさんに描いていただいたフジタクリーニングの絵の複写【下写真/右】なんですけど、原画は父にプレゼントしました。思い出を残してリフォームできたので良かったです。さっきも言ったとおり表側は叔母のカフェ【下写真/左下】ですし、2階では同級生が「La beaute」っていうエステとネイルのお店をやってくれてます。

▲事務所のボードに並ぶ合格証の数々。右端がひぐちさんによるフジタクリーニングの絵
 (左は趣味のテニスで市民体育祭団体戦に優勝したときの賞状!)

  • ▲叔母の経営する「Cafe Air」

  • ▲改装前のビル外観
    (写真提供:西脇建設株式会社)

  • ▲思い出として特注し父に贈った絵
    (©イラスト屋ひぐち)

——では最後に、今後の藤田さんご自身の人生や上越地域に対して、ビジョンや目標は何かありますか?
水面下で準備中なので、まだ具体的なことは言えないんですけど……新たな展開に向けて動き出してます。依頼を受けてから取り掛かる仕事だけじゃなくて、将来的にはもっと提案型に、情報発信できるスタイルに持っていきたいんですよね。こういう助成金がありますよとか、こういう仕組みができますよという情報をこちらから発信して、もっと上越地域の企業に役立てるような仕事をしたいと考えてます。

——前向きなビジョン、上越で働く我々にもとてもありがたいお話です。今日はどうもありがとうございました。
はい、ありがとうございました。もしまた何かあれば何なりと……っていうか、また取材に来てください(笑)。あと数年後には、新しいチャレンジが形になってるはずですから。

2015年11月30日 掲載(2015年11月11日 取材)【な】


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