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理容を通じて「幸せの種」を蒔く
二代目・潤一郎さんから息子・晃一さんへ
現在の上越市木田に店舗を構える以前、先代(潤一郎さんの父、晃一さんの祖父)は直江津で理容店を営んでいた。児玉潤一郎さんは「跡を継げ」と言われたことは無かったそう。「継げと言われたら、反発したかもしれません。でも好きなことをやって良いと言われたら、(逆に)やるしかないじゃないですか」と、理容師になることを決意。学校卒業後、糸魚川の理容院で修業を始めた。
その後、土地の権利関係の事情で店舗は直江津から現在の上越市木田へ移転することになる。計画では後々、新しい団地、学校や病院、スーパーができると言うが、移転した当時はまだ一面が田んぼだった。旧高田市と旧直江津市が合併し上越市が発足したのが1971年(昭和46年)、そして現市役所(木田庁舎)が開庁したのが1976年(昭和51年)のこと。今の地に店舗ができたのはそれ以前の1969年(昭和44年)で、当時の店名は「hair salon KODAMA」だった。修行から帰郷した潤一郎さんがまず思ったことは「えらい所へ来たな」だったという。しかしその後10年、20年と時が経つにつれ街が開発されていき、団地の若い世代を中心に忙しい日々を送るようになっていった。
息子の晃一さんが生まれたのは1983年(昭和58年)。理容師として働く両親の背中を見て育った。やはり父・潤一郎さんから後継せよと言われたことは無かったが、親戚から「日本一の床屋さんになれ」と言われて育ったという。「物心がついた頃には、理容師になるのが当然だと思っていました」。新潟の専門学校へ進学し、理容の基礎を学ぶ。その後、憧れていた東京の理容店に就職した。笑顔で「苦節の3年間」と語る晃一さんだが、その甲斐あって、理容の競技大会で2年連続優勝。誰にも負けない技術を身に着けた。
「店をやるなら地元でと思っていました」という晃一さんは、理容師になって10年目の2013年にUターン、潤一郎さんと共にお店を営むようになる。2014年に内外装をリフォームして店名を「Hair Glitter Flowers」に変更、新たなスタートを切った。
上越に帰ってきて5年になる晃一さんは、ヘアカットに加え、お客様の髪や体の健康を促進するためさまざまな知識を生かして日々奮闘している。そんな息子の傍ら今日も腕を振るう潤一郎さんは「理容師は髪をカットするだけが仕事ではありません。お客様とのコミュニケーションが大切なんです。同じ質問をしても、返ってくる答えは一人ひとり違います。それが、私たちの勉強にもなりますよね」と語る。
晃一さんは「新しい店名には、お客様の暮らしや気持ちが輝き花開くように、という願いを込めました。ヘアスタイルを通して、幸せの種を蒔いていきたいと思っています。外見も内面も、両方きれいになれる店と思っていただけたら嬉しいですね」と、頼もしい三代目の表情を見せてくれた。
木田に店を構えて、まもなく50年。児玉さん父子が創る美しいヘアスタイルと楽しい会話が、今日も幸せの種を蒔いている。
2018年5月18日(た)

DATA
- 名 称
- Hair Glitter Flowers(ヘアー グリッター フラワーズ)
- 所在地
- 〒943-0805 新潟県上越市木田1-15-19
- TEL
- 025-524-3428
- WEB
- http://www.hair-glitter-flowers.com/